2014年12月16日
生き甲斐とは
“生き甲斐”とはなんだろう?
惰性で生きる
死にたくないから生きる
↑これは生き甲斐が無い人の生き方
生きる為のエネルギーが生まれ、前向きに向かって行けるものがあるならそれが一番
自分の子供の為に全てを注ぐのは当たり前で、子供がいるなら子供が生き甲斐になるだろう!
“素晴らしい優秀な友”の息子が生まれた瞬間、実は一緒に釣りをしていた
“産まれた瞬間一緒にいたい“のは当たり前っだが、お父さんである友が病院にいられない
という“有り得ない条件”も現実あったから一緒に釣りをしていたのだが・・・
「一緒にいられないななんて酷い病院だね」なんて言っていたのだが、
素晴らしいポイントで“唯一の釣果”があり、その瞬間奥様から「産まれた」と電話がかかってきた!
やはり神様はいる!
「実は釣れた瞬間に君が産まれたんだよ」なんて友人が息子に言うはずは無いのだが、
やっぱり神がかっているとしか思えない
某大先生が酒を一緒に呑みながら言っていた
「嫁と絶対別れようと思ってたのに、二男が出来た瞬間に“別れないで頑張ろう”と思った」と・・・
「“息子”って絶対的に“生き甲斐”なんだよ」と言っていた・・・
今はその大先生も天国に行かれた・・・
自分の場合、一番大変だった時を共に生きてきた一番の理解者が死んだ
理解者である“息子”と共に生きる事が自分の一番の生き甲斐だった
生きられてもあと7~8年ほどしか一緒には生きられないと思うと堕ちる日もしょっちゅうあった程、
自分には絶対に必要な理解者だった
それなのに7年どころか、突然、天国にたった一人で行ってしまった・・・
「ちょっと出かけてくるね」と言うなら、涙を溜めてじっと見つめ・・・
「一緒行こう!」というなら、“嬉しい”と身体全体で表現して、どんな遠くに行こうが喜びしか表わさない・・・
“一人は一番寂しい”とアピールするのだが、仕事からどうしようもなかった・・・
”一人が一番寂しい”と解っているのに、一人で天国に旅立ってしまった・・・
全てに魂が入らなくなり、泣き過ぎて数カ月頭痛が治らなかった
完全に自分の人生も終わってしまった
最高の理解者が死のうが仕事はしなくてはならないのだが、
自分の代わりになる者は日本中探してもほとんどいない
最高の理解者が死んでしまった事で
“代わりが確保出来る様な仕事しかやるべきではない”
という思いが頭の隅にあらわれた・・・
仕事が生き甲斐と言える人は多いだろう
生き甲斐があるから、趣味だって楽しめるし、仕事だって頑張れる
自分の場合、最高の理解者である息子が死んだ事で釣りさえも出来なくなってしまった・・・
そう思いながら、もうすぐ6カ月・・・
そう、“生き甲斐と言える仕事が出来る”って事は幸せどとは思う・・・
反面、お金を貰えてもやりたくない事はやりたくない
生き甲斐にならない事は、お金をいくら積まれてもやりたくないのだ
亡くなった“師匠”に言われた事は、絶対に守ってるし、
師匠の言ってくれた事を守っているのは、日本中探しても自分だけだろう
他の弟子達も言われたかもしれないが、現実に、自分のいる世界で先輩後輩を見ても
自分だけだと実感するのだから
自分を奮い立たせてくれる仕事なら、お金を貰わなくてもやりたいと思う
本当に極端だが、「やったろうじゃねえか!」って思う仕事がやりたい
その反面、生き甲斐になる仕事ほど難しいし、代わりはいない
大事な最高の理解者が常に側にいて、生き甲斐と言える仕事をする
こういう状況でないと責任をもてる自信が無いと思っていた・・・
本当に大事だった”息子”、ずっと大変だった時期に励ましてくれた”息子”
高校時代に霊障で骨折をした自分ではあるのだが、明らかに・・・確信する...
なぜか?今、身近に息子がいる気がするのだ・・・??
すでに”生き返っているのか”と思う位の奇跡的な事が起こっている!
「やっぱり神様がいるのか?」と思う事が起こっている
“ぼろぼろ”になりながらでも、“出来る限りの事はやっている”から、御褒美なのだろうか???
46年も生きていると、なぜか“自分は活かされている”と思う事が多い
自分が感じている事が間違いでないのなら、やはり頑張らなくてはいけない
自分をやり気にさせてくれる友人達は、自分が頑張れる為の素晴らしい仲間だと思えるし、
息子が「父ちゃん、頑張れよ!」と言っていると感じる!!
惰性で生きる
死にたくないから生きる
↑これは生き甲斐が無い人の生き方
生きる為のエネルギーが生まれ、前向きに向かって行けるものがあるならそれが一番
自分の子供の為に全てを注ぐのは当たり前で、子供がいるなら子供が生き甲斐になるだろう!
“素晴らしい優秀な友”の息子が生まれた瞬間、実は一緒に釣りをしていた
“産まれた瞬間一緒にいたい“のは当たり前っだが、お父さんである友が病院にいられない
という“有り得ない条件”も現実あったから一緒に釣りをしていたのだが・・・
「一緒にいられないななんて酷い病院だね」なんて言っていたのだが、
素晴らしいポイントで“唯一の釣果”があり、その瞬間奥様から「産まれた」と電話がかかってきた!
やはり神様はいる!
「実は釣れた瞬間に君が産まれたんだよ」なんて友人が息子に言うはずは無いのだが、
やっぱり神がかっているとしか思えない
某大先生が酒を一緒に呑みながら言っていた
「嫁と絶対別れようと思ってたのに、二男が出来た瞬間に“別れないで頑張ろう”と思った」と・・・
「“息子”って絶対的に“生き甲斐”なんだよ」と言っていた・・・
今はその大先生も天国に行かれた・・・
自分の場合、一番大変だった時を共に生きてきた一番の理解者が死んだ
理解者である“息子”と共に生きる事が自分の一番の生き甲斐だった
生きられてもあと7~8年ほどしか一緒には生きられないと思うと堕ちる日もしょっちゅうあった程、
自分には絶対に必要な理解者だった
それなのに7年どころか、突然、天国にたった一人で行ってしまった・・・
「ちょっと出かけてくるね」と言うなら、涙を溜めてじっと見つめ・・・
「一緒行こう!」というなら、“嬉しい”と身体全体で表現して、どんな遠くに行こうが喜びしか表わさない・・・
“一人は一番寂しい”とアピールするのだが、仕事からどうしようもなかった・・・
”一人が一番寂しい”と解っているのに、一人で天国に旅立ってしまった・・・
全てに魂が入らなくなり、泣き過ぎて数カ月頭痛が治らなかった
完全に自分の人生も終わってしまった
最高の理解者が死のうが仕事はしなくてはならないのだが、
自分の代わりになる者は日本中探してもほとんどいない
最高の理解者が死んでしまった事で
“代わりが確保出来る様な仕事しかやるべきではない”
という思いが頭の隅にあらわれた・・・
仕事が生き甲斐と言える人は多いだろう
生き甲斐があるから、趣味だって楽しめるし、仕事だって頑張れる
自分の場合、最高の理解者である息子が死んだ事で釣りさえも出来なくなってしまった・・・
そう思いながら、もうすぐ6カ月・・・
そう、“生き甲斐と言える仕事が出来る”って事は幸せどとは思う・・・
反面、お金を貰えてもやりたくない事はやりたくない
生き甲斐にならない事は、お金をいくら積まれてもやりたくないのだ
亡くなった“師匠”に言われた事は、絶対に守ってるし、
師匠の言ってくれた事を守っているのは、日本中探しても自分だけだろう
他の弟子達も言われたかもしれないが、現実に、自分のいる世界で先輩後輩を見ても
自分だけだと実感するのだから
自分を奮い立たせてくれる仕事なら、お金を貰わなくてもやりたいと思う
本当に極端だが、「やったろうじゃねえか!」って思う仕事がやりたい
その反面、生き甲斐になる仕事ほど難しいし、代わりはいない
大事な最高の理解者が常に側にいて、生き甲斐と言える仕事をする
こういう状況でないと責任をもてる自信が無いと思っていた・・・
本当に大事だった”息子”、ずっと大変だった時期に励ましてくれた”息子”
高校時代に霊障で骨折をした自分ではあるのだが、明らかに・・・確信する...
なぜか?今、身近に息子がいる気がするのだ・・・??
すでに”生き返っているのか”と思う位の奇跡的な事が起こっている!
「やっぱり神様がいるのか?」と思う事が起こっている
“ぼろぼろ”になりながらでも、“出来る限りの事はやっている”から、御褒美なのだろうか???
46年も生きていると、なぜか“自分は活かされている”と思う事が多い
自分が感じている事が間違いでないのなら、やはり頑張らなくてはいけない
自分をやり気にさせてくれる友人達は、自分が頑張れる為の素晴らしい仲間だと思えるし、
息子が「父ちゃん、頑張れよ!」と言っていると感じる!!
Posted by turidebu at 21:11│Comments(0)
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